日本映画史 | |
日本の〈メロドラマ〉映画 撮影所時代のジャンルと作品 | |
河野真理江[著] |
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戦前・戦後を通じて国民的人気のあった日本映画のジャンル〈メロドラマ〉は、どのように成立し、どこへ行ってしまったのか。 『愛染かつら』『君の名は』をはじめ、スタジオ・システムのなかで量産されていた作品を分析し、現代のフィルム・スタディーズにおける概念を参照しながら、日本的〈メロドラマ〉の歴史的・文化的特殊性を浮かび上がらせる意欲作。 [目次] 序論 日本映画における〈メロドラマ〉の発掘 1 なつかしの面影 2 メロドラマ映画研究の現在──標準化された概念の明と暗 3 ローカル・ジャンルと範例的作品──本書の対象と理論的背景 4 〈メロドラマ〉からメロドラマを再考する──構成と要旨 第一章 プロトタイプ・メロドラマ──批評用語から映画ジャンルへ 1 『愛染かつら』の神話から〈メロドラマ〉の歴史化に向けて 2 「メロドラマ」の映画言説への浸透 3 日本映画を対象とする「メロドラマ」批評の実践 4 プロトタイプとしての「松竹大船調メロドラマ」の誕生──「もっとメロドラマティックに」 5 〈メロドラマ〉の停滞、そして復活へ──戦中・戦後 第二章 『新道』(一九三六)──転覆的な女性映画 1 女性映画として読む──モダンガールの誘惑とまなざし 2 受難と天罰──死のモンタージュという過剰 3 「女性的男性」としての上原謙のスター・イメージ 4 折衝する視覚的快楽と道徳規範 第三章 すれ違い映画──戦後大衆文化のファンタジー 1 「戦後最大のメロドラマ」──『君の名は』とその影響 2 『君の名は』の模造品たち 3 映画・ラジオ・週刊誌の連携 4 ロマンティックな帝国、植民地としての異国 5 階級論争から「通俗」言説へ 第四章 映画『君の名は』三部作(一九五三─一九五四)──欲望と道徳のマゾヒスティック・メロドラマ 1 通俗的で感傷的なものの再評価に向けて 2 結びつきの絶対的宙吊りとしての「すれ違い」 3 「倒れること」と「待つこと」 4 夢と現実のパラドクス 5 「虚脱」という現実 6 「すれ違い」の超越的な力 第五章 文芸メロドラマ──「よろめき」ブームと〈メロドラマ〉の新しい波 1 女性向け文芸映画の流行 2 中間小説と文芸映画 3 よろめきブームとジャンルの成熟 4 松竹女性映画の変容 5 モラル・パニックと男性観客性 6 『妻は告白する』(一九六一)──例外的な文芸メロドラマとして 第六章 『猟銃』(一九六一)──権力と背信の洗練されたファミリー・メロドラマ 1 文芸メロドラマとハリウッド・ファミリー・メロドラマ 2 権力の表象とその主題化 3 「壺」と「銃」 4 イデオロギー的矛盾と批評言説 5 サーク的スタイル、あるいは五所的スタイル 第七章 リバイバル・メロドラマ──〈メロドラマ〉の復活と斜陽 1 〈メロドラマ〉のリメイクの流行 2 再映画化ブーム(一九五四─一九六〇)──「メロドラマ復活の波」 3 リバイバル・ブーム(一九六二?一九六七)──メディア循環的なジャンルへの変容 4 ゴシップの快楽──『三百六十五夜』(一九六二)の場合 第八章 『続・愛染かつら』(一九六二)──自己言及的でグロテスクなバックステージ・メロドラマ 1 『愛染かつら』四度目のリメイク 2 再現とアップデート──すれ違うオリジナルとリメイク 3 バックステージ・メロドラマとして読む 4 自己言及性と不可逆性 5 グロテスク美とリバイバルの不可逆性──ジャンルの死としての再生 結論 〈メロドラマ〉映画の身体 1 〈メロドラマ〉の歴史化──日本映画史と女性映画 2 ローカル・ジャンルからクラスター・ジャンルへ 3 日本映画とメロドラマの現在──〈メロドラマ〉はどこへ行ったか? |
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[著者紹介] 河野真理江(こうの まりえ) 1986年東京生まれ。映画研究。 立教大学現代心理学研究科映像身体学専攻博士課程修了。博士号(映像身体学)取得。 現在、立教大学兼任講師、青山学院大学、静岡文化芸術大学非常勤講師。 近著に、「渋谷実の異常な女性映画──または彼は如何にして慣例に従うのを止めて『母と子』を撮ったか」(『渋谷実 巨匠にして異端』志村三代子、角尾宣信編、水声社、2020年)、論文に「?メロドラマ」映画前史──日本におけるメロドラマ概念の伝来、受容、固有化」(『映像学』第104号、2020年)などがある。 |