映画 | |
フレームの外へ 現代映画のメディア批判 | |
赤坂太輔[著] |
|
あらゆる画面が我々を囲み、新たな「自然」となりつつある現在。文字情報に奉仕する映像と音に操られてしまわないために、我々はこの環境といかにして向き合うべきか。 フレームの「内」と「外」、画面と音声の関係を軸に、ロッセリーニ、ブレッソン、ゴダール、ストローブ=ユイレ、さらにアメリカや日本の戦後映画をたどり、ロシア、南米、中東などの先鋭的な映画作家まで、「フレームの外へ」と分析の眼差しを向ける、ポスト・トゥルース時代の現代映画論 [目次] 序章 「外」の発見に向かって FRAME-1[イン&アウト──顕微鏡とリレー] 1 現代映画の出発点 2 フレーム内を見続けよ 3 リレー、まなざし、距離 4 方法=映画 FRAME-2[リアルというフレームの行方──「リアリズム」の流れを読む] 1 画質とリアル 2 シュトロハイムと包括的な時間 3 ベッケル/ロッセリーニ 4 ルノワール 5 ヴィスコンティvs ルーシュ FRAME-3[フレームを閉じることと開くこと] 1 「切り返し」は誘導ツールにすぎないのか 2 ベルイマンの場合 3 ロメールの場合 4 その他のフランス人作家たち 5 カサヴェテスとアルトマン FRAME-4[想像力は消えた──アメリカ映画史における追跡と撃ち合い] 1 ウォルシュの「追いつけない」追跡 2 古典映画の追跡と撃ち合い 3 ウェルズとアルドリッチ 4 距離の可視化と操られる人々、可能性は? FRAME-5[「時代劇」から上演の映画へ] 1 時代劇と古い映画 2 オーソン・ウェルズからヌーヴェルヴァーグ以後へ 3 アメリカ映画/西部劇の「上演」 4 リヴェット、ストローブ=ユイレ、フランス・ファン・デ・スターク 5 ルーシュ、クレイマー、マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画 6 ローシャ、ベーネ FRAME-6[『ミュリエル』から『和解せず』へ] 1 時の跳躍 2 時は戻って来ない 3 フレーム内に留まること 4 フレームの外へ 5 暴かれるつなぎ目 FRAME-7[ゴダール、小津から「ソ連映画」へ] 1 ゴダール 2 グリフィス、そして小津の「違和感」 3 一九八〇年代フランス映画の「室内劇」というフレーム、そしてドヴジェンコ 4 ユーリア・ソーンツェワ、ソ連崩壊前後の映画、ロシアの女性作家たち FRAME-8[闇から浮上する身体へ──メディア批判の視点から見た第二次大戦後の日本映画] 1 明白さから暗闇へ 2 一九六〇年代の人々 3 鈴木清順の場合 4 一九七〇─一九八〇年代 5 北野武、黒沢清、青山真治、堀禎一 FRAME-9[現代映画の軌跡──フレームとサウンドのクリティカル・ライン] 1 被覆と露呈 2 フランス現代映画の軌跡 3 湾岸戦争後のメディア批判──イラン映画とドイツにおけるゴダール、ストローブ=ユイレの後継者たち 4 切断/接続で奏でる音楽=運動 FRAME-10[メディア・イメージに抗って──エジプト、スペイン周辺、ラテンアメリカ現代映画] 1 エジプト 2 スペインとその周辺 3 ブラジル、チリ、アルゼンチンのインディペンデント映画 終章[トランスナショナルなメディア批判映画の現状] あとがき 人名索引 |
|
本書をamazonで購入 |
|
[著者紹介] 赤坂太輔(あかさか・だいすけ) 映画批評家・映像論。立教大学講師。 1994年にポルトガル取材後、1997年、1999年にアテネ・フランセ文化センターで開いた「ポルトガル映画講座」を皮切りに、2003年よりシネクラブ&ウェブサイトであるnew century new cinemaを立ち上げ、世界の日本未公開作品や作家の紹介上映活動をおこなう(詳細はhttp://www.ncncine.com/infoncncine1.html)。 またSight&Sound、Derives、La Furia Umana、e-lumiere、desistfilmなど世界各国のオンライン雑誌に寄稿。近年、国内誌では『中央評論』『シネ砦』『ユリイカ』『STUDIO VOICE』などに寄稿。2015年より雑誌『NOBODY』に「メディア批判としての現代映画」連載中。 著書に『ハルトムート・ビトムスキー監督特集』(アテネ・フランセ文化センター、2002)、『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(企画および分担執筆、EMブックス、2003)、共著に『映画を撮った35の言葉たち』(フィルムアート社、2017)、『ストローブ=ユイレ──シネマの絶対に向けて』(森話社、2018)がある。 |